著書『十二支考』や粘菌の研究で知られる、和歌山生まれの生物学者は誰?
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- 著書『十二支考』や粘菌の研究で知られる、和歌山生まれの生物学者は誰?
- 南方熊楠(みなみかた くまぐす)
南方熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日 - 1941年12月29日)は、日本の博物学者、生物学者、民俗学者であり、近代日本において先駆的な存在です12. 彼は植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類、変形菌類、地衣類、蘚苔類、藻類の研究で知られています。さらに、高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていました1.
熊楠は生態学を早くから日本に導入し、1929年には昭和天皇に進講して粘菌標品110種類を進献しています1. 民俗学研究上の主著として『十二支考』や『南方随筆』などがあります。彼はフランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けており、古今東西の文献を渉猟していました1.
熊楠は言動や性格が奇抜で人並み外れたものであり、後世に数々の逸話を残しています。柳田國男からは「日本人の可能性の極限」と称され、現代では「知の巨人」と評価されています12. 彼の多岐にわたる研究と独創的な思考は、日本の文化や自然に深い洞察をもたらしました13.
南方熊楠の生涯にわたって『ネイチャー』に掲載された論文は51本にものぼります。これは日本人としてはもちろん、単独名の論文掲載としては歴代投稿者の中での最高記録であるという1。熊楠は「東洋の星座」という論文で『ネイチャー』にデビューしました。この論文は1893年10月5日号の投稿欄に掲載されました。興味深いエピソードとして、彼がこの論文を執筆する際に辞書を調達したことがあります。熊楠自身が「その時丁度ネーチユール(御承知通り英国で第一の週刊科学雑誌)に、天文学上の問題を出せし者ありしが、誰も答ふるものなかりしを、小生一見して下宿の老婆に字書一冊を借る。極めて損じた本で、AからQ迄有て、RよりZ迄全く欠けたり。小生その字書を手にし、答文を草し、編輯人に送りしに、忽ちネーチユールに掲載されて、タイムス以下諸新紙に批評出で、大に名を挙げ」と述べています1。
このエピソードは、熊楠が英語で報告できるほど和漢の古典を読みこなしていたことや、『ネイチャー』がアマチュアの投稿を受け入れていた場であることを示しています。彼の論文は当時の科学界においてどのような位置を占めていたのか、興味深い視点で分析することができます1。