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柴田勝家は本能寺の変の後、清洲会議で信孝を推した?
はい、織田信長の後継者を決める「清洲会議」において、柴田勝家は信長の三男である信孝を推しました。

清洲会議は、1582年7月16日に織田家の諸将が清洲城で開いた会議です。本能寺の変で信長が亡くなり、嫡男の信忠も自害したため、後継者問題が複雑化していました。この会議では、信長の権力を引き継ぐ方法や、織田家領の相続・支配権である「家督」を巡る問題などが議題となりました。

柴田勝家は信孝を推した一方、羽柴秀吉は信長の孫である三法師(後の秀信)を推しました。秀吉は明智光秀討滅に功労があったため発言力が強く、三法師が後継者に決まりました。

この会議では結論を出すことができず、その後、数ヶ月間、柴田勝家と羽柴秀吉との対立が続きました。最終的には、この対立が「賤ヶ岳の戦い」へと発展し、秀吉が勝利しました。