1810年に弘前城本丸に建てられた御三階櫓は当初から天守と見なされていた?
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- 1810年に弘前城本丸に建てられた御三階櫓は当初から天守と見なされていた?
- いいえ、違います。弘前城本丸に1810年に建てられた御三階櫓は、当初から天守代用として見なされていました。
弘前城の天守は、当初は五重の天守で本丸の南西隅に建てられていました。しかし、築城から16年後の寛永4年(1627年)に落雷により焼失しました。その後、幕府の許可を得て、1810年(文化7年)に九代藩主寧親が本丸の南東にある辰巳櫓を改築し、御三階櫓として建てました。
御三階櫓は、天守建築の呼称のひとつで、江戸時代には天守閣とは呼ばずに御三階櫓と称された物もありました。
弘前城は、東北地方唯一の現存する天守を持つ城で、全国の城郭天守の中でも代表的なものです。天守の屋根は銅瓦葺きで、大雪が降っても割れることがないのが特徴です。