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北条政子は源頼家の母であるが、彼との関係は良好であった?
いいえ、違います。
北条政子は、源頼家の母ですが、源頼家との関係は良好ではなかったと言われています:

  • 源頼家は、鎌倉幕府を開いた源頼朝と北条政子の間に生まれた嫡男です。
  • 源頼朝が急死したため、若くして家督を相続することになりました。
  • 源頼朝の妻である北条政子は、頼朝の亡き後、「鎌倉殿」として幕府のトップとなりました。
  • 承久(じょうきゅう)の乱(1221)に際して、幕府の恩を説いて東国武士を京に攻め上らせた話は有名です。
  • 義時急死後、伊賀(いが)氏の陰謀を抑え、甥泰時(おいやすとき)(義時の子)を執権とし、政子は「尼(あま)将軍」として敬重されました。

北条政子と源頼朝の出会いは、政子の父・北条時政が伊豆へ流罪となった頼朝の監視役に任じられていたことや、伊東祐親に命を狙われた頼朝が時政のもとへ逃げ込んだことがきっかけだといわれています。