日記帳

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タグ:紫式部日記


問題と答え

『紫式部日記』は、寛弘5年7月から約1年半にわたる期間の記録である。○か×か?
○ はい、『紫式部日記』は、平安時代中期の1008年寛弘5年7月から1010年寛弘7年1月までの約1年半にわたる期間の記録です。



問題と答え

『紫式部日記』は、紫式部が藤原道長の要請で宮中に上がった際に記した日記である。○か×か?
○ はい、そうです。
当時の天皇は一条天皇で、最初の妃が定子(藤原道隆の娘)。藤原道長の娘の彰子が嫁いだときには、すでに定子が中宮(正妻)でした。どうしても彰子を中宮にしたかった道長は、定子を皇后にすることで彰子を中宮とし、一条天皇に正妻が二人いる状態にしました。
なお、天皇のお気に入りになるには、女御(妻)に才能あふれる女房がいることが重要だったそうです。定子のとりまきに清少納言がいたので、それに負けない女房をということで紫式部に白羽の矢が立ったとされています。


問題と答え

紫式部は自身の宮仕えの様子を記した『紫式部日記』を残した。○か×か?
○ はい、そうです。



問題と答え

『紫式部日記』には、光源氏が太上天皇になった記述か含まれている。○か×か?
× いいえ、『紫式部日記』に光源氏の記述はありません。『紫式部日記』は現実の宮廷生活を記した日記で、内容は事実に基づいていますが、光源氏が太上天皇になったエピソードは源氏物語の架空の話です。



問題と答え

『紫式部日記』には、藤原道長が紫式部に求婚する一節がある。○か×か?
× いいえ、『紫式部日記』に、藤原道長が紫式部に求婚する記述はありません。

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